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私が大学を休学した理由~線維筋痛症について

痛みは社会では理由にならない?

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2022.10.3

全身の激しい痛みが続く病気があります。私が罹患している線維筋痛症という病気です。

症状は激しいにもかかわらず難病指定ではありません。そのため、認知度は低く、支援も手薄なのが事実です。
今回は、線維筋痛症についてと私の思いについて書きたいと思います。

執筆:萩 雪希 Yukino Hagi

始まりは頭痛から…痛みに名前が付くまで

私に線維筋痛症の症状が現れ始めたのは、2年前の7月です。元々、頭痛持ちではありましたが、それが酷くなり、小児科の先生に相談し、鎮痛薬を処方してもらいました。

鎮痛薬は著効せず、ずるずると長引く頭痛に加えて、手足や腰に痛みが走り始めました。膠原病も疑われ、検査をしたものの当てはまらず、麻酔科(ペインクリニック)を紹介されました。そのころには、全身の疼痛はかろうじて歩けているというところまで悪化していました。

10月、麻酔科の初診。問診の後に診察室に入ると、動脈管開存症の手術時に麻酔をしてくれた先生が待っていました。17年越しに再会をすると、麻酔科の先生の方からその話をしてくれました。

先生は丁寧に診察をしてくれ、その日は抗うつ薬としても用いられている痛みへの認可もある薬を処方してもらい、その足で高校へ行き授業を受けました。その後、薬の副作用で食欲が落ち、別の薬に変わりましたが、10月末には杖をつかないと歩けないところまで痛みは悪化していました。

その後、頻繫に病院に通い、自分に合う薬を探しましたが、見つかりませんでした。痛みと希死念慮に抗いながら受験を乗り超えて、愛知に転居しました。

転居先では、麻酔科の先生が紹介してくれたペインクリニックにかかり、ここでも合う薬を探しましたが、やはり見つかりませんでした。

今年の春、ペインクリニックでは診きれないと、大学病院を紹介されました。

大学病院でやっと線維筋痛症と診断されました。痛みに理由があると分かるまでに1年半かかりました。

大学病院は、薬の処方の変化はあまりなく、とにかく動くようにとのアドバイスしかありませんでした。それを実践してもよくなる兆しはありません。それどころか、痛みはどんどん悪化し、ここ最近は痛みのためにろくに食べられない状態が続いています。

今は、痛みのために歩くこともままならないですが、普段は毎日4kmほど歩いていました。頭から足の先までを襲う激痛。ズキズキしていて、ズーンと重く痛くて、関節も背中も痛くて。息をするのも痛くてしっかり息が吸えなくて。目も痛くて。とにかく全身に痛みが現れています。

今、あまりの激痛に日常生活もままならないため、実家にもどっていますが、今迄にかかったことのない病院が当番医だったのでかかりました。そして、やっと薬が処方され、痛み止めの点滴も打ってもらえました。今はこの薬で、何とか食べたり飲んだりができます。

薬は痛みには多少効きますが、それでも痛みは強く、こわばりなどの諸症状には全く効きません。多彩な症状が現れることが、この病気の辛いところです。

ここまで、今に至るまでの流れを書きましたが、痛みに理由があると分かるまで、長い年月を要しました。

どの様な症状?

3か月以上の長期にわたって、身体のあちこちの広い範囲に痛みが出没し、身体の強いこわばりとともに、激しい疲労感、不眠、頭痛やうつ気分など多彩な症状を伴いますが、病気の原因はまだよく分かっていません。通常、さまざまな検査を行っても、特別な異常が見られない。

出典:線維筋痛症|公益財団法人日本リウマチ財団

私の場合、全身の激しい痛み、こわばり、倦怠感、脱力感、それに付随するうつ状態、痛みによる中途覚醒などがあります。また、血液検査やCTでも異常は見られません。

そのため、精神的なものと考えられ、痛み外来や精神科でたらい回しを受けたり、心無い言葉をかけられたこともあります。ここで、特にショックを受けた言葉を紹介します。

病院で言われた一言

痛みのために大学からの帰宅途中に動けなくなり、救急搬送されました。その際、帰るのが困難と判断され、そのまま入院しました。何か治療を受けられるのかと期待していましたが、特に何もしてもらえませんでした。

また、担当医が変わりました。それ自体はよくあることだと思うのですが、その医師から言われたことに深く傷つきました。今もその傷は、私の心の柔いところをジクジクと痛めます。

「痛みは社会じゃ理由にならないから」

医師は、私に向かってそう言いました。

そう言った医師の真意はショックすぎてその場で聞けずにいたので分かりませんが、私の心を折るには十分すぎる一言でした。

痛みは社会じゃ理由にならない、それでも痛いものは痛いのです。検査で異常がなくても、目に見える変化がなくても、痛むのです。

大学を休学して

社会じゃ理由にならない私の痛みは、どこに行っても、たらい回しに会っています。

結果として、大学を休学せざるを得なくなりました。

休学を決めたとき、とても悔しかったです。悲しかったです。大好きで大切な友達と一緒に卒業できないと決まって切なかったです。周りから遅れるのが悔しかったです。

それでも闘病を応援してくれる友達のやさしさが、ただただ優しくて痛かったです。同じ授業を受けて、一緒に勉強して、試験を乗り超えて…それができないのが、悲しいです。

学校に来たらまた話そう、その言葉は励みになりますが、私はみんなと授業を受けて、一緒に卒業したかったのです。

どれだけ病気は私から幸せな日常を奪っていけば気が済むのでしょうか。

母へ宛てて

私の家は、母子家庭です。母が女手一つで育ててくれました。

私には発達障害もあるので、育てにくいこどもだったと思います。それゆえ、沢山ぶつかってきました。母にひどいことも沢山言って傷つけました。本当に反省しています。

母は、私の病状が悪化するたびに、愛知まで来てくれました。料理ができない私に、料理をしておいしい食事を冷凍で送ってくれました。

入院費を払ってくれました。病状が悪化するたびに病院へ連れていってくれたり、迎えに来てくれました。私のために尽くしてくれました。うまく書けませんが、本当に感謝しています。

終わりに

長くなりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。
線維筋痛症が少しでも認知されることを祈っております。
また、どんなに遠くても公認心理師という夢に向かって生きていくこと改めて誓います。

2002年生まれ。長野県出身/愛知県在住。人間科学部/心理学科 在籍。24週1日の早産、489g/29㎝の超低出生体重児。
ASD・自閉スペクトラム症、ADHD、複雑性PTSD、解離性同一性障害、双極性障害、起立性調節障害、解離性障害、線維筋痛症etc と戦う20歳。自傷行為、OD、自殺企図 ⇒ 多数。閉鎖病棟入院 ⇒6回。
ネガティブでも希望のある文章を心がけます。

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