私なりの「摂食障害」との付き合いと別れについて
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2022.12.16
私が「以前は摂食障害だった」と人に伝えると、「確かに細いね!」と可愛い返答が返ってくることがあります。
確かに今では可愛い笑い話かもしれませんが、改めて思い返すと「よく自分生きてたわ」と、心身の回復ぶりを改めて称賛したくなるほどです。
執筆:いりえ(北橋 玲実)
一日の仕事を終えて会社を出ると同時にやってくる強い疲労感とともに帰路にあるスーパーへ。その足取りはなんとなく重いものでした。
スーパーに着くと、いつものお菓子コーナーへ。一通り物色してケーキをとりあえずカゴへ。チョコレートやビスケットはほどほどに。そこからパンコーナーに向かおうとしたところで買い出しをしている会社の知り合いの存在に気づき、こそこそと見つからないように隠れる。
一息ついて、知り合いが近くにいないことを再確認してからレジに向かい、店員の顔はあまり見ないように会計を済ませる。
そこから歩いて5分ほどで家につき、急いで部屋着に着替え、大量の飲料水を準備。買ってきたものを次々に開封し、胃の中に詰め込み始めます。
まずは軽いパンから。そしていったん胃袋がいっぱいになってきたらトイレに向かい、吐き出す。
それが済めば第2ラウンド。ビスケットやチョコレートに取り掛かる。
固いものや重いものは胃の中に残りやすいから水をきちんと飲むことは欠かさない。部屋着に着替えたのも、その「作業」で汚れてもいいように。
作業が一通り終わると、その日一日の達成感と身体の不快感が押し寄せてくる。
食道がキリキリするままお風呂に向かい、いろんな汚れを落とし、いろんな感情を抑え込みつつ眠りにつく。
…というのが、5年ほど前の私の日常でした。
当時は親元を離れ、立地的に精神科にも通うことはできませんでした。社会人になりたてで同期とも違う勤務地。大学の友人とも遠く離れ、その孤独感と慣れない社会生活で強いストレスに苛まれていた私は、「自分の身体」という本来いちばん傷つけてはいけないものをターゲットにしてメンタルを保っていました。
さすがに自分の行動が異常であることは頭では理解していたので、ネットや書籍で情報を集めていました。
過食嘔吐のない日が珍しく訪れると、その日をどんな気持ちで何をして過ごしたのかを振り返る。手帳にその日を記録して何かの法則を探そうとしていることもありました。
結局それではどうにもならず、転職と引っ越しをしたものの症状に大きな変化はありませんでした。
なぜそんな状態でも精神科に行かなかったのかは、今考えれば摂食障害の原因と同じところにあったのだと思います。
一般的に言われるように精神疾患は総じて症状が目に見えにくく、治療の難しい病気です。
私が「なぜそんなに自分を責めるのか?」と強いストレスの原因を自分自身に問い続けてもなかなか答えは出ません。
将来に明るい希望も持てない中、たまたまおすすめ書籍に「もう傷つきたくない」というキャッチフレーズの本が見つかり、一瞬は意味が分からないと思ったのですが、好奇心旺盛な私は手を出すことにしました。
その本には私の求めていたことが書いてありました。
私の強いストレスの原因は、自分を責めて外部に執着してしまうこと、とその本は述べていました。
思い返せば、私は幼いころから常に親や姉の顔色をうかがっていましたが、その関係がそのまま先生や友人、上司に置き換わっていただけでした。
もちろんそれに限らず、家族との関係の中で醸成された考え方が、当時の私の自己否定や自己不信や他者不信、あるいは強い罪悪感に繋がっていたということがはっきりと腑に落ちたのです。
親からの影響は大人になっても無くなることはありませんが、それに振り回されている人は非常に多いと感じます。
自信が持てない、ふさわしい環境を選べない、他人に都合よく使われてしまう、そういったことはその人の考え方によって生じますが、それは主に10歳までにできあがってしまうと言われています。
性格や考え方は「変えられない」ものだと思われがちですが、それは日々の選択の基準であり、習慣化によって変えることができるものです。
もちろん自信がないことが悪いことではないのですが、性格は選択することができます。
ぜひその事実を知って、あなたらしい選択をして現実を変え、今よりも明るい生き方に向けて進んでいってほしいと思います。