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誰が配慮を必要としているのかはわからない。障害福祉の現場から。

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2023.2.21

障害福祉の仕事を始めてからそろそろ10年が経つけれど「誰がどんな配慮を必要としているのか」を予想するのは難しい。今回は私が配慮について改めて考えるきっかけになった、一人の職員の話をしようと思う。

執筆:森本 しおり Morimoto Shiori

障害福祉の仕事を始めてからそろそろ10年が経つけれど「誰がどんな配慮を必要としているのか」を予想するのは難しい。

自分の口から「こういうことで困っているから、こんな風にしてほしい」と要求を言葉で伝えてくれる人ばかりじゃない。むしろ、言葉にしてくれる人の方が圧倒的に少ない。

働きながら「どう接したらいいのだろう」と迷ってしまうことも多い。

今回は私が配慮について改めて考えるきっかけになった、一人の職員の話をしようと思う。


私は放課後等デイサービスという障害のある子ども向けの学童のような場所で働いている。子ども達が放課後や休日にやって来て、勉強をしたり、療育と呼ばれる社会に出ていくための学びを得たりする場所だ。

今の職場で働き始めてから、丸6年が経とうとしている。出会った頃に小学一年生だった子は、次の春に中学生になる。近頃は子ども達を見てはしみじみと「大きくなっちゃって…」と親戚のおばちゃんのようなことを何度も言ってしまう。

子ども達だけではなく、先生達との付き合いも長くなってきた。私の職場はなぜか勤続年数の長い人が多い。なおき先生(仮名)もそのうちの一人。福祉系の大学を卒業した後、新卒で入社したなおき先生は年下の先輩だった。

なおき先生は、いつも笑顔でほんわかした優しい人だった。なおき先生がいるとその場の空気が柔らかく、ほんの少しだけ明るくなる。

「なおき先生って怒ることあるの?」と職員や子どもから質問されている場面を何度か見たことがある。

「ありますよー。」と言っていたけれど、みんな「一回も見たことない。どんな風になるんだろう?」と不思議そうにしていた。


私が特に印象に残っているのは、一人の中学生の男の子となおき先生が遊んでいるシーンだ。

その子は、自由時間をほとんど一人で過ごしていた。色々な人から話しかけられてもあまり会話が続かず、どんな遊びに誘われても断る。教室の隅に指定席のような場所があり、そこで座ったり、ゴロンと寝転がったりして大半の時間を過ごしていた。

ある日、その子が教室内でなおき先生とピンポン玉でキャッチボールをしていた。

その子が大きく振りかぶって少し離れた場所にいる先生のもとへとボールを投げる。ボールはきれいな放物線を描いて、先生の手に吸い込まれていく。先生がボールを返すと、その子は少しスピードの速いボールでも難なくキャッチして、またボールを投げる。

二人がキャッチボールをしているシーンは、とてもきれいだった。

私はその子がキャッチボールがこんなに上手だとは知らなかった。楽しそうに笑う姿も初めてで、誰が話しかけてもほとんど態度を変えなかった子の新しい一面だ。

それから、その子はふざけてなおき先生の後ろからくすぐったりするようになった。

北風と太陽なら、太陽のやり方だ。大人から強く働きかけて動かすのではなく、子どもが自分からマントを脱いだように見えた。

なおき先生の周りにはいつも自然と人の輪ができる。それは、日の当たる場所に人が集まるようにとても自然な流れに感じられた。私は「こんな風に色々な人から好かれる人っているんだなぁ」と、驚いた。


ところが、数カ月前になおき先生は突然いなくなってしまった。風邪を引いて欠席が続いたかと思ったら、そのまま辞めてしまった。嘔吐で通院したところ原因がわからず、精神科でうつ病と診断されたらしい。ドクターストップがかかったのかもしれない。

なおき先生の退職はあまりにも唐突だった。結局、連絡がとれなくなってしまったので、なおき先生が実際に何を考えていたのかはわからない。

私は自分が当たり前だと信じていたことがグラリと揺らいだように感じた。

なおき先生をそこまで配慮すべき人だと思っていなかった。まだ20代だけれど人として大人で、心も体も健康そうで、いつも笑顔で深刻に思い悩むタイプにも見えない。職員にも子どもにも好かれていて、どんな仕事も器用にこなしていた。友人も多く、休日は趣味を楽しんでいた。

どの要素をとっても「大丈夫な人」に見えてしまった。けれど、それらは揺らがないものではなくて、いくらでもひっくり返るものなのかもしれない。配慮をする人とされる人は固定的ではないし、「長年続いているから平気」というものでもない。

いかにも訳ありな人は、配慮が必要だということが誰の目にも明らかだ。うちに通っている子ども達は障害があるし、職員も私を含めて何かと訳ありの人が多かった。

なおき先生は配慮すべき特別な事情はなかったけれど、だからと言って大丈夫なわけでもなかったのだと思う。誰が配慮を必要としているのかは、そんなにわかりやすいものじゃない。

今の職場は何かが欠けたようでちょっとだけ寂しい。それだけ、なおき先生は多くを与えてくれていたんだと思う。

1988年生まれ。「何事も一生懸命」なADHD当事者ライター。
就職後1年でパニック障害を発症し、退職。27歳のときに「大人の発達障害」当事者であることが判明。以降、自分とうまく付き合うコツをつかんでいる。プラスハンディキャップなど各種メディアへ寄稿中。

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