PARA CHANNEL Cage

てんかん発作で意識を失っても、変わらずに接してくれた友人たち。

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2023.3.30

てんかんと診断される前、友人の家で2度も意識を失ったことをきっかけに少しずつ友人達から距離を置くようになった私だが、友人達は変わらない接し方をしてくれていた。友人のおかげで、大変なのは自分だけではないのかもしれないと思えるようになった。

執筆:小泉 将史

溝を作り続けた私、溝を埋め続けた友人達

「今度、プレステ持って遊びに来いよ」

当時17歳の私は友人と一緒に夏休みにKの家に泊まりに行くことになった。泊まりというのはなんだかワクワクする。友人達と朝までゲーム三昧。あまり深く考えることもなく、誘いに乗った。

約束通り、友人K宅に遊びに行かせてもらい、ゲームをしながら迎えた明け方、私は急に神経が張り詰める感覚・悪寒・動悸を感じた。そして意識が遠のいて首がカクンとなった。

「おい…おい!」

私を呼ぶ声が聞こえてきた。目が覚めると、友人Kがニヤニヤしてこちらを見ている。

「お前、寝るなよ~!笑」

寝ていたのではない。意識を失ったのだ。友人達は私が意識を失ったのか、眠ってしまったのかよくわからない様子だった。

私は「眠ってしまったのではなく、突然、意識を失ったのだ」と友人達に言いたかったが、言えなかった。もしかしたら、寝不足が原因かもしれない。ただ、それ以上に、「友人達に嫌われて遊びに誘われなくなるのでは?」と不安になって落ち込んでしまったからだ。
 
しばらくして、別の友人Yの家に遊びに行ったときにも似たようなことがあった。みんなの話を聞いてる途中、

「おい…おい!」

と声が聞こえてきた。目が覚めると、友人Yや他の友人達も私を見ている。

「びっくりしたぁ~。声をかけても反応しないから、マジで焦ったわ。」

眠ってしまったのではない。忘れていた友人K宅での出来事が記憶に蘇る。あの時のように意識を失ったのだ。徹夜の遊びでもないのに急に意識を失ってしまった。

今回は友人達も私がなんとなく意識を失っていた事を把握していた様子だった。私はそのときも自分の身に起きたことをうまく説明できずに、帰宅した。

友人と遊んでいる最中に2回も意識を失ってしまったことで、私は次第に友人達と遊ぶ約束が億劫になっていった。「再び意識を失ったらどうしよう?」という不安が頭から離れない。

いっそのこと、「ごめん、俺、都合悪いわ」と断ってしまおうか?

いざ、友人から誘われると断れないが、私は友人との遊びを心からは楽しめなくなっていた。

当時はまだてんかんと診断される前で、自分の身に何が起きているのかよくわからなかった。どうして私はみんなと同じように行動できないのか?「どうやら私は友人達との行動が困難な心身の状態であるらしい」という結論を出した頃には、少しずつ友人達との関わりに溝ができていた。

迷惑をかけても友人達と遊びたいという気持ちと友人達だからこそ迷惑をかけたくないという気持ちのジレンマで、友人達と一歩距離を置くようになった。

友人宅で介助の現場に立ち会って、世の中の見聞が広がった

友人の家で2度も意識を失ったことをきっかけに少しずつ友人達から距離を置くようになった私だが、友人達は変わらない接し方をしてくれていた。

ある日、友人Hに誘われて、Hの自宅にMとSと一緒に遊びに行ったときのことだ。

「まぁ、ボロ家だけど入ってくれ。」

ちょっぴりオタクな集まりでゲームを楽しんでいると、玄関が何やら騒がしい。

「帰って来たみてえだ。」

と友人Hが言った。

私達がゲームをしている部屋の引き戸の隙間から玄関先に中年の女性と車椅子に座った中年の男性が見えた。私はそのときまで障害者に接したことがほとんどなかった。

「こんにちは、ゆっくりしていってね」

と中年の女性が私達に言うと、友人Hは面倒臭そうにあしらっていた。中年の女性は車椅子を押しながら、廊下を通って奥の部屋に入って行った。

当時の私は父親の死を通して周囲の友人達とは違って片親であるというコンプレックスに悩まされていた。

「ウチは貧乏だし、色々とあるんだよ」

友人Hの言葉を受けて、どうやら中年の女性は友人Hの母親らしい事と中年の男性は父親らしい事がわかった。そして自分の常識は狭く小さい事を知った。私達は口数が少なくなった。

友人Hが席を外して奥の部屋に入って行った。「ったく、あんたのお陰でさ!」と誰かを「あんた」呼ばわりする友人Hの声が聞こえた。

なんとなく悪い気がして、事情を聞き出せなかった。片親でもないのに大変な思いをして生活している人がいる。しかも身近な友人に。

もしかしたら世の中にはもっと大変な思いをして生活している人がいるのかもしれない。私だけではないと悟った。インパクトのある出来事を通して世間の見聞が広がった。

高校生の頃は父親の死に加え、てんかんの兆候が表れ始めるなど、私にとって大変な時期だった。憂鬱な気分の中で、こんな思いをしているのは自分だけなのではないかと思ってしまうこともあった。

「○○だから、可哀想な私」は自分の思い込みかもしれないと思えるようになったのは、友人のおかげだった。溝を作り、距離を置こうとした私にも変わらずよく接してくれた。

友人達がいてくれたおかげで、社会参加に対する抵抗感が和らいだように感じている。私は友人たちを目標として、社会で働くことができている。時間はかかったが、日常的に「ありがたい」と思う事が多くなった。

私は世界をある程度受容できるようになったが、後悔は残っている。私は友人達に嫌われてしまうのではないかという不安から友人達と距離を置いたけれど、もっと他の方法があったのではないだろうか?もしかして、友人たちや健常者に対して、偏見的な視点で見ていたのは私の方なのかもしれない。

16歳の時、父の死から原因不明の「てんかん」を発症する。部分寛解後、原因不明の「てんかん性精神病」を発症する。陽性症状で人間関係の構築が困難な状況に、働きづらさを感じている。投薬治療中。精神障害者手帳3級所持。働き方として在宅ワークを模索中。趣味のキーワードは美術館、パン、スイーツ、ウォーキング、読書、トレッキング。

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