性同一性障害。20歳で死のうと諦めた僕は、29歳の今、介護福祉士として生きている。
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2021.3.19
初めて性別に違和感を覚えたのは、小学生の時。僕は男の子なのに、周りの大人たちが女の子扱いしてくるようになった。「何で僕は男の子なのに、みんな女の子だって言うの?」
自分が性同一性障害だと知り、一度は人生を諦めかけたけれど、今もしぶとく生きている。その半生を振り返ってみました。
執筆:佐藤 悠祐 yusuke sato
「おめでとうございます、良い人生を。」
2020年3月16日。僕の戸籍に記されている性別が、女から男になった。
いい人生とは、一体どういうものなのだろう。
これまで28年間、あまりいい未来を思い描けなかったから、ピントは来ないけれど、それでもいつか「いい人生だ」と心の底から思える日が、来るのだろうか。
1991年、東京都八王子市にあるごく平凡な家庭に僕は生まれた。
初めて性別に違和感を覚えたのは、確か小学生の時。僕は男の子なのに、周りの大人たちが女の子扱いしてくるようになった。
「将来は◯◯くんのお嫁さんになるのかな〜?」
「女の子はこっちでお着替えね。」
「それは男の子用のおもちゃだよ?」
今から20年以上前、まだ「男女の区分け」がはっきりしていた時代。女の子が男の子用のおもちゃを使うことはおかしいという認識が、大人にはあったと思う。
「何で僕は男の子なのに、みんな女の子だって言うの?」
…なんて言えるはずもなく、自分は周りと違うのだ、周りと違うことはいじめられる対象になってしまう!と、バレることを恐れた。
好きな芸能人はと聞かれたら、その時はやっていた俳優の名前を出したし、好きな男の子はと聞かれたら、当たり障りのないクラスメイトを選んで乗り切った。
メイクやファッションは分からなかったけど、制汗剤や持ち物は周りの友達と同じものを使うようにし、頑張って女の子であろうとした。
転機が訪れたのは、中学生の時。3年B組金八先生、というドラマの第6シリーズの再放送を見ていると、上戸彩さん演じる鶴本直という生徒が、自分は性同一性障害、だといった。
「今なんて…?」
セイドウイツセイショウガイという聞いたこともない単語とドラマのセリフを一言一句聞き逃さないようにテレビに食いついた。
僕と同じような人がいる、テレビドラマの題材になってる。もしかして他にも同じような人はいるのか?僕だけがおかしい奴じゃないのか?
初めて抱いた希望だったし、生きる術を見つけるための方位磁石をもらったような感覚。
僕は自分のノートに「性同一性障害、性別適合手術、治る」と書き込んだ。
しかし現実は甘くない。いくらテレビドラマで取り上げられたとはいえ、世間で認められた存在、とは程遠かった。
ニューハーフの方を侮蔑する発言はテレビで飛び交うし、気持ち悪いとか、罰ゲームとか、そういう扱いをされている人を見るたびに心がすり減って、せっかく抱いた希望はいとも簡単に消えていった。
もう性同一性障害のことは忘れよう、そして、20歳で死のう。
中学3年生、人生を諦めた。
しかし、29歳になった今、まだしぶとく生きている。生き延びている。
高校3年生の春、初めて抑え切れないほど好きになった人に告白をした。自分が性同一性障害かもしれないこと、男だと思ってること、あなたが好きだということ。ロマンティックさのカケラもないような場所でした告白を、彼女は受け入れてくれた。この出来事が僕の視界を広げてくれたのだと思う。
人に認められ、受け入れてもらえるというのは、心が救われたような気持ちになるし、それだけで、生きていけるかもしれないと思えた。
彼女と付き合い始めてから、真剣に治療や戸籍変更について調べ、生きていくためにできることを考えた。
そして20歳の時、性同一性障害の診断がおり、21歳で乳腺を摘出、28歳の時に子宮と卵巣を摘出し、戸籍の性別が変更になった。この辺りはまた詳しく書けたらいいなと思う。
20歳を超えても生きることを選んだ僕は、介護福祉士になった。
今は福祉の業界で、障害者の自立支援の仕事をしている。施設、デイサービス、グループホーム、などを経験し今は訪問介護業界の問題解決をしたいと自分で事業所を立ち上げた。
この仕事は、他の仕事に比べると、そこまで性差がなく、働きやすい。
人対人の仕事は、性別よりも深いところ…、本質を大事にしてくれている。何より「それぞれの生き方」に向き合うことができる、良い仕事だと思う。
「いい人生」がどういうものなのか、まだ答えは出せないけれど、人に受け入れてもらえることの喜び、ありのままの自分を認めてもらえる安心感は、確実に良い人生につながる。
これは、性同一性障害だけでなく、さまざまなマイノリティ性を持った人がそうだと思う。
僕はこれからも、その事実を発信していきたい。
誰もが、人に、社会に、そして自分自身に認められる社会を。
Text by
yusuke sato
佐藤 悠祐
1991年生まれ。東京都八王子市にある【訪問介護事業所SAISON】の管理者。性同一性障害当事者。幼い頃から自分は男だと思いながらも誰にもいえずに過ごす。高校生で初めてカミングアウトをして以降「暮らす」「働く」について考え、現在は介護福祉士として障害を持つ人の暮らしをサポートしている。