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最終学歴中卒の重度障害者が考える社会人基礎力とは?その3:人生を楽しむ力

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2021.10.21

16歳の時に飛び降り自殺を図り頸髄を損傷。以後車いすに。最終学歴は中卒、企業で勤めた経験がほとんどない私が知った「社会人基礎力」という概念。知れば知るほど社会で生き抜くためのスキルであり、他人軸の指針だ。「自分が」この社会で生きていくための自分軸の指針として、私の考える「真・社会人基礎力」を提言する。第3弾は人生を楽しむ力。

執筆:豆塚 エリ Eri Mametsuka

日本の20歳の知的好奇心は、スウェーデンの65歳とほぼ同じだというOECDの衝撃的な調査結果をご存知だろうか。

OECDは国際成人力調査(PIAAC)で各国の16~65歳を対象に、読解力、数的思考力、ITを活用した問題解決能力を調査している。

2012年の調査によると、日本は数学の学力はトップだが、知的好奇心は最下位の韓国についで低い。また、日本の生涯学習率は先進国最低で、2010~2014年の「世界価値観調査」では、日本の若者のクリエイティブ思考・冒険思考は世界で最低だ。

学力は高いのに、勉強が嫌い。リスクを避けたがり、自分の考えがない。萎縮して無気力な、けれども追い立てられるように勉強だけはさせられる若者を想像してしまう。

自ら興味を持って勉強し、自分の考えや意見を持ち始めると「わがままだ」「自己中だ」と叩かれる。社会規範やルールそのものに縛られ、好奇心が削られていく。「こうあるべき」「そうするべき」などの「べき思考」にとらわれ、やがては自分で考えることを辞めてしまう。

「楽しんではいけない」「勉強をしろ」「仕事をしろ」というメッセージを社会から受け続けた結果、楽しむことに罪悪感すら感じ始める。やりたくないことを我慢して続けていると、次第にやりたいことが何だったのか、何が自分にとって楽しいのかわからなくなる。

けれども大人は「夢を持て」「果敢にチャレンジしろ」と言う。むちゃくちゃだ。自分が引き裂かれ、ばらばらになり、自分自身が頼りない。自分が頼りないから、他人が気になる。

「相手が自分をどう評価するか」が常に気にかかり、今のままの自分ではいけない、落ちこぼれてはいけない、そんな不安から逃れたい一心で行動を続けた結果、内面が空虚になっていったのではないか、と考える。いつも何かに急き立てられ、焦燥感にかられる。けれど失敗が怖い。人から嫌われたくないそればかりで、自分がない気がしてしまう。

日本の10代以下の自殺率が過去最悪の高水準となってきている。10代~30代の死因第一位は自殺だ。自殺未遂をした経験のある自分としては、見過ごせない事実である。

真・社会人基礎力、最後の1つは、「人生を楽しむ力」としたい。


photo by August(https://twitter.com/a__ugust__us)


変な話だが、何かを楽しんだり、幸せになったりすることには意志と勇気がいる。

自分が楽しむ、幸せになることを許し、他者から好意を得るために自分を可哀想に見せるのをやめる。これだけのことが、案外難しい。

というのも、今年8月、東京都世田谷区を走行中の小田急線の車内で、男が乗客を切りつけ10人がけがをする事件が起きた。犯人の男性は「幸せそうな女性を見ると殺してやりたいと思うようになった」などと供述したのだという。グーグルの検索窓に「幸せそうな人」と入れると「ムカつく」「見たくない」などと言葉が並ぶ。どうしたことか、世の中には他者が幸せそうにしているのが受け入れがたい人達がいるのだ。

もうすぐ衆議院選挙だが、若い人たちが選挙に行きたがらないのは、社会から押し付けられがちな「正しさ」に自分を当て嵌めようとしているからではないだろうか。自分の思う正しさ、「信念」を持ち、表明することをどことなく怖がっているような気がする。

子供の頃の自分がそうだった。

小学校で原発のことを学び、家に帰って両親に反原発の意見を伝えたら、「電気が使えなくなったらどうするのか」「何も知らないくせに」「世の中そんなに甘くない」「そんなに言うなら政治家になったらいい」と、今思えば反論にもなっていないようなことを返された。彼らは原発推進派というわけでもなかったと思うのだが。

それからなんとなく、自分の意見を主張することを避けたほうがいいと思うようになった。
「わがまま」「世の中は理不尽だから耐えなければいけない」といったようなことを何度言われてきただろう。今になってそれらは、私を縛りつけ、力を失わせようとする呪いの言葉達だったのだと思う。

「私は私である」「私は私のやりたいことをする」、たったそれだけのことを必死に否定し、邪魔をしてくる人たちがいないだろうか。あるいは、自分自身が否定していないだろうか。

まずは何か一つ、楽しみを持つといい。

一人でできることで、できればお金が余りかからず、諦めずにできること。ためにならないこと、効率的でないこと。今はちょっとした趣味でさえ何でもすぐに「ためになる」あるいは「お金になる」ことを最短ルートでやらせようとしてくる。

商品が「モノ」売りから「コト」売りにへとシフトし、とにかくなにかやることに意義や付加価値をつけようとしてくる。純粋に楽しめるのならいいのだが、中にはSNSで拡散させるのを狙った虚栄心を煽るようなものもある。虚栄心が強いと、一人では何も出来ないし、一人で何かをしてもつまらない。一人で生きていることを楽しめない。

私にとっての楽しみは、小説を読むことだった。子供の頃、小説を読むことは大人に邪魔されることなく一人でゆっくり楽しむことができる唯一の娯楽だった。それが高校生になった頃に「なんのためになるの?」と言われるようになってくる。

「ためになる読書」を意識するようになってから、それまで毎日貪るように読んでいたのに、ほとんど読まなくなった。小説は私にとっての救いだったと思っている。本を読んでいる間、私は自由で、私らしくあった。


photo by August(https://twitter.com/a__ugust__us)


やりたいこと・好きなものがない、わからない、という人がいる。

そういう場合はとにかくまずやってみることだ。好きだからやるのでなく、やっているうちに興味が湧いて好きになってくることもある。

例えば山に登るとか、小説を書くだとか、苦しくても楽しみながら耐えてやりきることで達成感を味わい、自信がつくこともある。自信がさらにやる気をもたらす。そうやって自信のある自分を自分で育てていけば、気づきが信念になる。他人が自分をどう思うかとか、規範において何が正しいのかなんてそのうちどうでもよくなってくる。

遠くばかり見ずに、自分の近くを見ることだ。今の自分のコツコツした積み重ねが、遠くの理想の自分を作る。これが仕事なら、なおさら自信も湧いてくるだろう。

もちろん、ただ無軌道にやりたいようにやればいいという問題でもない。信念や価値観のない、自分が今何を感じているかの自覚のない自分勝手は、ただの自己中心的、利己的な行為であることもあり、周囲を混乱させることにもなりうる。信念に基づいたふりをして自分の正しさを無理に通そうとするのも違う。

けれどもこれらは若者の特権であるようにも私は思う。

自信がなくて萎縮し、人生を楽しめないよりは、多少周囲を振り回してでも根拠のない自信を持って楽しい日々を送ったほうがいいに決まっている。

そのうち自分が何者なのかわかってくるし、楽しんでいる人の周りには、自然と人が集まってくる。生きることを一人で楽しめるようになれば、一人きりで幸せになってもつまらないことにも気づくだろう。

幸せは人とのつながり、社会の中にある。

だからこそ、まずは自分から、楽しくなれるようなことをしよう。例えば選挙に行くこと、これもまた、みんなで楽しく生きるためには必要なことだ。

1993年生まれ。詩人。16歳の時に飛び降り自殺を図り頸髄を損傷。以後車椅子に。障害を負ったことで生きづらさから解放され、今は小さな温泉街で町の人に支えてもらいながら猫と楽しく暮らす。
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